真宗大谷派。山号は阿原山。もとは春日郡阿原村(現、清須市新川町)にあった。創建は善正上人で、彼は永正15年(1511)開設する。三世壽玄の時、清州越えで阿原村より名古屋皆戸町(現、中区丸の内1丁目)に寺を移した。元々、豊臣秀吉創設の天台宗、京都方広寺末寺であったが、徳川政権に変わる頃、本願寺末寺に転派。元禄13年(1700)2月7日の大火により全焼。後、再建したが再び享保9年(1724)5月13日に類焼を受け、同年12月に現在地に移り、元文元年(1736)6月に本堂の再建にとりかかり、享保元年(1741)5月に落慶法要を行う。明治4年7月になり学制の布告により、小学校を開校。宝物として聖徳太子木像、阿弥陀如来像などがある。なお、境内に文化元年(1804)奈良元興寺五重塔の古材を用い、住職義諦が建立したと言われる太子堂が二畳大目の茶室としてある。床には聖徳太子像が安置されていたので、その名がある。松涛庵は京都東山より移築されたもので、足利義政好みと伝えられる。六畳大目数寄奇造りとして江戸末期の手法が施されている。